クロイロ

四月八日午後二時。
「なあ、阪田。俺は今すごく怒っている」
「なんや、トウ。走れメロスの冒頭か?」
違うに決まってるだろ。どうして俺が教室の中で急に完成度の低いパロディを繰り広げなきゃいけないんだ。というか元のやつは激怒だし、三人称だし、呼びかけも入らない。
「気づけよ。入学式直後のこの教室で、大声で話してるのお前ぐらいなんだよ!」
そう、俺は今日から高校生。この下区宇野高校の一年生になった。名前は一色いっしき 塔とうという。
「いいか?俺は誰にも告げずにこの学校の受験をして、それで合格した。なのになんで同じ高校で同じクラスなんだよ!」
「え、よかったやん。学校で一人とか心細いやろ?」
俺の理不尽な苦情に全く動じることなく返事してくるこいつの名前は阪田はんだ 恭一きょういち。なんと幼稚園の時からの腐れ縁だ。それでも俺と口調がだいぶ違うのは、家の方針によるものらしい。
「高校生として新しい友達をつくろうとしているのにお前がいるとみんな近寄りづらいだろ!」
入学式直後というのは非常に大事な時期でございまして。思春期真っ只中で不安に駆られる高校生にとって、すでに友人と親密に話している人というのは明らかに不機嫌な先生よりも話しかけるのが難しい。拒絶される=スクールカースト下位へ直行、という極端な理論に落ち着いた高校生は自分と同じように不安そうな顔をしている人を探して集まる。そして地雷っぽいところからは離れようとする。そして俺はそのなんとなく距離を取ろうとするような視線を全身で感じている。
「まあまあ、落ち着きいな。大声出してる分そっちにも非あると思うで」
「…まあとにかく」
「おっ、いい感じの声量」
「うるせえ」
こいつとの会話は苦手だ。何を言ってもうまく返される。
「お前のせいで高校三年間ぼっちとか嫌だからな、必要なとき以外話しかけるなよ」
「ヒュー、いい感じのツンデレだね」
「もう黙れよお前!」
お前はどこからデレの要素を見つけ出しているんだ。どこにもねえよそんなもん。
「それより長距離の引っ越しで疲れてるやろ?初日ぐらいサポートせんとなあと思って」
「いいから、疲れてないから。お前は俺に話しかけようとする人たちの邪魔をするな」
「そんなこと言って、高校デビューしたいだけなんやろ? 中学のとき中二病ひどかったもんなあ」
「やめろ、そのことをそんな大きい声で言うな!」
直後、クラスのざわめきが大きくなった時にはさすがに死にたくなった。
この後先生が解散を告げ次第、俺はできるだけ速く学校という建物を出ることになる。



episode 1
公園に隠されたもの



この学校は全寮制だ。そしてクラスに応じて寮が決定する。それが意味することは単純だ。
「寮まで一緒に帰んのはええんやけど、ちょっと寄り道しいひんか?」
俺の寮は学校から歩いて十数分のところにある。だが今日に限っては五倍ぐらいに伸びるだろう。
「まだこの町の構造とかようわかってへんやろ?俺は事前に調べてたからな、案内するわ」
「いいから」
「でも早いこと学校出たってことは町を探検するためちゃうん?」
「原因はお前だよ」
「あ、ここのたいやきおいしいんやで」
「聞けよ」
「実はここ左にいったら学校の別館につながってんねん」
「聞けって」
「この道キュッって曲がると寮なんやけどな、まあそれは今度言うとして…」
こいつの悪い癖は、人の話を聞かないことだ。止めようにもあの饒舌さで煙にまかれる。
「んで、ここズバーンていって坂道ドーって登ったら公園あんねんけど、そっからの景色が結構ええねんか」
「別に行きたくないぞ」
「そー言っても、結構来るところまで来てるで。俺が案内やめたらトウにはもうどっち行ったら帰れるかわからへんのちゃうかな」
「あー、わかったわかった行くから」
「よっしゃ、よかった。これでもまだ嫌っていうんやったら道を口でいうだけで案内終わってつまらんしな」
仮に道だけ聞いたとしても、さっきの擬態語だらけの道案内だったら方向が全くわからないんだが。
「そういやこの町名所結構あるって知ってた?」
「聞いたことはあるけど詳しい話は知らないな」
「これからいく公園も実は結構有名な人が設計したもんらしくてな、知ってる人にとっては結構有名らしいで」
「遊具が?」
「あー、いやそういうのじゃなくてな、自然公園やねんか。ちっさいけど滝もあんねん。まあそれ流してる機械大きいし電力勿体無いって自治会からクレーム来たし全然流れてへんけどな」
「機械ってそれだけしか動かしてないのか?」
「らしいな。電灯はまた別の施設で動かしてるらしいし」
随分無駄な機械なんだな。
「何か隠してあるとか?」
「…まあ、あの辺りはそもそも見るもんもないけどあんまり近づかへんほうがええで」
否定はしなかったのが気になる。まあ大したことでもないだろうが
「裏組織の隠れ家でもあったりしてな」
その冗談への返事は思っていたよりもずっと早かった。
「トウ、その話はここではしたら――"だめだ"」
"あかん"ではなく確かに"だめだ"と言った。その声色は今までのものとは明らかに違っていた。
「えっ…」
「ほら、トウ、ここが公園や。まあ何もおもろいもんはないんやけどな」
口調はまた普段通りに戻っていた。だが、雰囲気はいつもと違うままだった。それが一層薄気味悪かったのは言うまでもない。
「ほら、桜綺麗やろ。この時期だけやで、こんなん見れんの」
阪田の目線を追うと、色とりどりの桜が咲いていた。八重桜、染井吉野、種類も様々らしい。そしてそれを見に来る人も様々だった。
「そうだな、滝の話はどうかと思うがその有名な人の花のセンスはいいみたいだな」
「…」
冗談めかした表現は阪田には届かなかった。阪田は、満開の景色のなかで際立って白い枝垂れ桜を手に取るだけだった。



チエさんがグループの名前を"下区宇野高校1-1"に変更しました。

チエ{グループトーク作ったから友達でアプリ持ってる人がいたら招待してね}
ガーシマ《了解です。ちなみにチエさんは本名なんていうんですか?》
{秘密ってことで}
《うわー、気になるな。ちなみに俺は大賀島でーす》
นิพพาน【それどこまで苗字なの?まだクラスの人覚えてないからわからない。】
《えーと、その名前なんていうの?読めないんですけど》
{そういえば学校近くの公園に結構怪しい噂あるの知ってる?}
【นิพพานのこと?これタイ語なんだけど、友達にいたずらで設定されて。】
《へー、公園があることも知らなかった。それがどうしたんですか?》
{まあこれはあくまで噂だから信じるかどうかは自分しだいだと思うんだけどね}
《お、それっぽい冒頭ですね》
{公園の滝を流す機械のあたりで変なことがあるって知ってる?}
【あ、これ無視されるパターン。】
《あれ、そんなのあったんですか》
《幽霊とか?》
{『あるはずのものがない』んだって}
《ドユコト?》
{文章で伝えるの結構めんどくさいんだけどさ、}
{あ}
{ごめん、ちょっと席外す}
《うわ、めっちゃ気になる》
【誰かいないの?】
【ねー、】
る『一応私いますが』

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午後五時。春の日も隠れ始める時間だ。陰がかかると煉瓦の道はその色を濃くし、桜の通りは別の顔を見せた。
「一通り見どころについての案内もしたし、暗くなってきたし、もう帰ろか」
阪田が静かなのは自然豊かな公園を楽しむのには丁度よかったのかもしれない。ただ元気が無い阪田は不気味だから元に戻って欲しい――なんて思っていたときだった。
『いつでもー、どこでもー、あなたの心手に入れたいからー、け』ピッ
「はい、阪田です」
阪田は至って真面目に携帯を取ったんだろうが、確実にあれはアニメソング。静謐だったはずの公園にはどう考えても合わない甲高い声が流れ、よく響くがために周りの人の意識は全てこちらに集まってくる。本人は電話に気を取られていて全く気にならないようだが、近くにいる俺はすごく不快だ。
「はい、わかりました。すぐ行きます」
「誰からの電話だったんだ?お前が敬語話す相手なんかそうそういないだろ」
「いや、ただの先輩やで? ちょっと俺忘れもんしたから取りに行くんやけど、そこの公園の出口からやとちょっと学校に遠回りになんねん。完全下校時間まで時間ないし、もう一つのほうの出口使うからここでお別れやわ。適当で悪いんやけどそこの地図見て帰ってくれへんかな」
指差す先には町内地図があった。
「ああ、あれだな。わかった」
「そんじゃ、完全下校時間まで時間ないし急いでくるわー」
「そうだ、阪田。着信音は変えたほうがいいと思うぞ」
「? まあ詳しい話は今度聞くしまたなー」
そう言って阪田は通行人の注目を集めたまま走り去っていった。
さて、地図を見て早くこの辺りの地形にも詳しくならないとな。そう言って見た町内地図には…寄り道しすぎたからだろうか、探したい寮の名前がなかった。どうすんだこれ。とにかく俺は別の地図を探した。
結果、俺は公園の案内板を見る。いや、勘違いしないでくれ。血迷ったわけではない。もしかしたら公園の中に寮あるかも――なんて馬鹿な思考をしたわけではない。ただ、阪田に再会する可能性に賭けてもう一つの出口がどこにあるかを探すつもりだっただけだ。
まあ結局それは途中でどうでもよくなった。当初の目的を完全に忘れさせるほど気にかかる場所が俺の目にとまった。阪田が話を避けたところ。つまりこの滝のところだ。ここだけは阪田が案内してくれていない。
"近づかへんほうがええ――"
俺はそう言われるとますます気になる性格だったのを阪田は忘れていたんだろうか。俺は、阪田に再会するという目的を忘れ、件の場所へ向かうことにした。



{ごめーん、ちょっと野暮用で}
《別にいいですよ、それよりもさっきの続きお願いします》
{あー、あれね}
{『あるはずのものがない』っていうのはね}
{地図で見たら公園の横幅って数百メートルだけど}
{実際に歩いてみると何十メートルか短いんだって}
《地図に高低差とかないからじゃないんですか》
{それだったら歩いたほうが長くなるじゃん}
{それに、公園の外を歩いてみると地図通りの長さになってるらしいよ}
《オカルトですね》
《今度一回測ってみようかな》
{話はここからだよ}
《?》
{公園の外と中で長さが同じ地点に印をつけていったんだよ}
{そしたら滝を流すための機械の近くで急に印の間隔が短くなった}
《えっと、つまり?》
{あの機械が空間を歪めてるんじゃないか、って話}
《それ機械の磁力とかで計測器がおかしくなっただけなんじゃないですか》
{ま、それもあるかもしれない。でもそれ以外にも根拠はあってね}



「でけえ」
無駄に大きいと聞いて想像していたのよりも二倍くらい大きくて思わず口に出てしまった。滝を流すのにこれほど不似合いな大きさはないだろう。そして自然の色に紛れるように何かしらで隠せばいいのに、ガチャガチャとした部品が丸見えだ。言うなればミニ石油コンビナート、大きさは駅にある待合所ほど、直方体の機械だ。滝を流すことによりどんな効果を期待していたのかは知らないが、もしそれが成功したとしてもこっちで台無しになるだろうな、と思えるほど公園の自然豊かな印象を破壊している。
これだけ大きいなら入れるところがあるんじゃないのか、と機械の周りを探ろうとしゃがみこんだとき、視界に陰がかかった。
「こんなところに何の用だ?」
そう自分に問いかけたのは低めの女性の声だった。不審に思われるのも無理は無い。本来見るべき場所ではないようなものをしゃがんでまでじっくりと調べていたのだから。
「あ、あの、この機械を見に来たんです」
立ち上がり、そう言って振り返るとまず目に入ったのは制服のスカート。下区宇野高校のものだ。もう少し目線を上げると風に揺れる黒い髪先が見えた。そしてそれを持つ片手は、細い指から手首まで完成された一つの芸術作品のようだった。そしてさらに目を上げ、ついに目線は水平線を過ぎたころ胸元にかかったピンが見えた。赤色のピン。どうやら自分と同じ高校の二年生らしい。さらに顔ごと上に向け、首が自然に曲がる限界まで上がりきったところでやっと表情のない顔が見えた。決して俺の身長が低いわけではない。事実俺は物心がついたときから背の順並びで後ろに人がいたことがない。俺の身長以上というだけで異常なはずなのだ。そんな長身を持った女性がこちらを見下ろしている。夕日に背を向けて陰のかかったその顔にはしっかりとした鼻筋が通っており、口は堅く噤まれている。そして自分を真っ直ぐ見つめる瞳は綺麗な紫黒色だ。その目はまるで俺の思考まですべて見通すような純粋さと力を持っている。
俺の制服をしばらく見たあと、彼女はぶっきらぼうに小さく口を開いた。
「同じ高校か」
はいと答えるつもりだった口は、うまく動かなくなっていた。
「暗くなる前に帰れよ」
それだけ言い残すと彼女は俺をよけて機械の奥の方に回りこんでいった。長く漆黒の長髪は彼女の体に弾かれて俺の頬をかすめていった。静かな足音は次第に遠くに行ってしまった。
しばらく俺は未知の体験にしばらく呆然として、少し時が経ちやっと自分が彼女に魅惑されていたことに気づいた。
さらにそれが時間で薄まってきたころ、やっと俺は奇妙なことに気がついた。地図を見ていないと気づかなかっただろう。むしろ、地図を見ていれば気づかなければいけない。公園に出入り口は二つ。この場所は丁度その間に位置していて、それでいて公園の端だ。
そう、機械の奥には何もないはずなんだ。
俺はすぐに機械の奥を見た。
公園の端、出口もなくただ住宅街との境目として柵が立っているはずの、いや、そうであるべきの場所には、鬱蒼とした森が広がっていた。
そしてその中に、終端が見えない道が一つ。



{ないはずの道を見つける人がたまにいるんだよ}
{そしてその道に入っていく人もいる…}



薄暗い道は得体の知れない怪しさを持っていた。情報との不一致という、人間が本能で感じる怖さもその道は持っていた。そのような印象を受けながらも俺はむしろそれを嬉しく感じていた。俺がそういう性格だからだろうか。それともさっきの彼女の雰囲気に相応しいものだと思ったからだろうか。家の門限も、新品の制服を汚すことも気にならなかった。きっとここで踏み出さなければ俺は一生後悔するだろう、ただそう思った。



{それ以上は知らないよ}
《でも、それっていくらでも説明つきますよね》
《庭師みたいな人が木を切るために入ってっただけとか》
《面白い噂を自分で作ろうとして便乗した人がいた、とか》
{噂話にそれいっちゃおしまいでしょ}
《そうですけど、なんか曖昧すぎて腑に落ちないんです》
{まあ、信じるかどうかは自分次第って言ったからね}
{あくまで噂だよ}



「おーい、そこな少年さんや、立入禁止の看板が見えんのか」
暇つぶしに散歩する老婆は親切心から声を掛ける。あわよくば説教してやろうという魂胆もあるが、あくまで親切心だ。しかし返事はない。少年の姿はそこにはなかった。
「はて、気のせいか」
先程大声を出したことも気にせず老婆はずかずかと歩き続ける。月の明るさは夕日のそれに代わろうとしていた。


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