クロイロ

四月八日午後八時。
外では真っ暗になっているはずの時間でも、この異世界では物が見える。
黒髪の少女は今さっき話しかけた少年に意識がないことを確認する。その細く長い指で制服の胸ポケットから端が見えている学生証を取り出した。
「下区宇野高校一年一組の一色塔……悪いことをした」
少女は装飾が全くない携帯電話を取り出した。左手で携帯を持ち、右手の人差し指の先で画面を押していく。十桁の数字を慣れない様子で入力し終えた後、呼び出し音は一回しか鳴らなかった。
「胡桃か」
「はーい、胡桃です。珍しいわね、あんたから掛けてくるなんて」
「調べてほしいことがある」
「あんたねえ、電話かけてきてるんだから返事ぐらいちゃんとしてよ。で、何を調べて欲しいの?」
「一色塔という男はあの不良の仲間か」
「は? 一色塔って…」
「どうした、まだ情報がないか」
考えをまとめるのに時間がかかるのか、胡桃と呼ばれる女はしばらく沈黙する。
「あのねえ、私の情報量なめんじゃないわよ。新入生なんかとっくに集めきってる。あんた新入生に暴力振るったの?」
「違う……けど驚かせてしまった」
「はー、気絶させたってことね。不良との関わりは全くないわ。可哀想だからちゃんと寮まで送ってあげなさい。一組だから松子寮ってとこね、あの学校に一番近いとこ」
「わかった」
少女は少年を背負って草原の異世界の出口に向かって歩き始めた。
「おい、おーい、もしもーし? また電話切るの忘れてるな」
一方こちらの少女、胡桃くるみ 美佳みかはため息をついていた。
「一色って…阪田クンの友達じゃん。しかもあの場所に来れたってことはつまり"魔法"を使う素質があるってことなんだよね……
すごい面倒くさいことになったな」
頬杖をついて思考を始めようとしていたが、その姿勢は前傾になって崩れた。
「よし、今日はもう寝よう、眠いし。明日考えればいいや」
彼女はすぐに布団へ潜り込み、電気を消すとあっという間に寝息を立て始めた。



四月八日午後十時。
――松子寮、療養室
「ひいいいいい!」
「うーわ、びっくりした」
あれ、さっきまであのよくわからない空間にいたはずじゃ…?
いつの間にか周りは保健室のような清潔そうな場所になっていた。
「あんた、びっくりさせんじゃないわよ」
「えーっと、すみません、どなた…」
「寮長の松子まつこよ! この前自己紹介したばっかりじゃない! まったくもう、失礼ね」
状況がよくわからない。
「なんで俺ここにいるんですか?」
「さっきかわいい女のコがあんたのこと届けに来たのよ。名前は…なんていったか忘れたわ。入学して早々彼女連れ込む人が出てきたのかと思ってあたし張り切っちゃったのにさ、ただあんたが気絶したから送りに来ただけって聞いてがっかりよ」
確かに記憶が抜け落ちている感じはするが、気絶していたのか。
「それ別に俺悪くない…」
「うるさい、そんなことはわかってんのよ」
「じゃあなんでそんなに怒ってるんですか」
「ここの部屋使うと申請とかが面倒くさいの! ほーら、なんにもないなら帰った帰った」
「ありがとうございました」
「お礼なんていいのよ、こっちも仕事なんだし。あ、カバンは入り口の前においてあるからね、今から書類書くから話しかけないで」
せわしない人だ。寮長なら生徒をもっと気遣うものだと思っていたが、案外自由奔放なものらしい。
…もしかしてここの学校だけだろうか?
色々な感情を渦巻かせながら部屋を出ると、小汚いカバンがあった。結構土で汚れてしまっている。洗ったりするのを面倒だな、なんて思いながら俺は自分の部屋へと向かった。



さて、次の試練だ。寮の部屋はくじで決まる。そう、お察しの通り。
205号室、一色塔・阪田恭一
「えらい遅い帰宅やったな、道迷ったとか?」
「違えよ」
「冗談やって、女の人に背負われて運ばれてんの見えたし、寮のオバチャンが話して周ってたし、大体のいきさつは知ってるって」
この寮にプライバシーとかいう概念はないんだろうか?
「それより、あかんって伝えてたのに行ったんやな、滝んとこ」
少し阪田の声色が変わった気がした。
「あ、ああ。どうしても気になって…」
「いや、気にせんで良いねん。教えたらどうせ気になって見に行くやろって気づけへんかった俺も悪いし。それよりもあいつらに目つけられへんかったかが心配でな」
「あいつら?」
「まあ怪我はないっぽいし直接接触はしてへんと思うんやけど、あそこに屯してる不良は少し厄介な噂が多いねん。弱み握られて名前がばれたら学校では三年間パシリや。だからあのあたりには近づかんほうがええって言ったんや」
「詳しいな」
「言ったやろ、前からこの辺りについて調べてたって。今の時代ネットで調べたら大概の情報は入ってくんねん。危険な集団とかは特にな」
阪田はそう言い終わって時計を確認する。
「十時半。もうすぐ消灯や。って言っても電気消すだけで起きてることもできんねんけど、特にすることもないやろ? 大急ぎで寝る準備しよか」
「その前にお風呂に入りたいんだが」
「無理無理。入浴時間はとっくに終わってるし今日は諦め。一日ぐらい大丈夫やって」
連続入浴記録は15年で途切れることになった。歯磨きをして、シーツを敷く。単純な作業ではあるが、案外時間がかかるものだ。そんな作業をしながら疑問を今更ながら思い出した。
あの女性のあの力は何か。草原の謎の空間はなんだったのか。
「なあ、阪田。質問なんだが…」
阪田はすでにいびきをかいていた。
「明日にするか」
俺は独り言を呟いて布団を被った。



[浜さん、例の女ですが能力持ちみたいです]
[A隊十人がかりで全員やられました]
[このままだとうちの団の威厳にも関わりますし、能力持ちの人を投入しますか]
"相手は女だろ? 悠長なことはいってらんねえ"
"ナギを入れる"
[ナギですか]
[そこまでしなくても、D隊から何人か入れればいいんじゃないんですか]
"俺が入れるって言ってんだ、文句あるか"
"暇すぎてイライラしてるらしい"
"たまには雑魚を嬲るのもいいだろ"
[わかりました、いつにしますか]
"俺も見たいからな、明後日だ"
"呼び出し役はお前がやれ"


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